農家ルポ:地元農機店と信頼つなぐ/岩手県特集

岩手県北上市で水稲作を営む小原康史氏(39歳)を訪ね、取り組みを聞いた(取材には、鈴木農機(株)取締役サービス営業部長・統括支店長・盛岡支店長の古澤護氏に同行していただいた)。
小原氏の経営は水稲40ヘクタールの米専作。うち13ヘクタールは飼料用米。主食用は「ひとめぼれ」、飼料用米は「たわわっこ」を作付ける。昨年までは大型農業法人の(株)西部開発農産と連携しながら大豆、麦を作付けていたが、今年から畑作は同法人に委託して、水稲1本に切り替えた。「75歳の父親の友人や近所の方に手伝ってもらってやっていたが、高齢化の壁を感じ、10年、20年先を考えた時、現状でできることをやらないとと思った。何でもかんでもやったところで収入にならない。昨年から父から私に経営移譲したので、思い切って転換した」。
就農したのは平成22年4月から。東京の大学に通い、自動車の部品メーカーに就職した。次男ではあるが、農業は嫌いではなかったし、子供の頃からよく手伝っていた。長男の兄も継ぐ気はなかったようなので、やるなら早い方がよいと思い、自主的に戻ってきた。
昨年4月から、花巻農協青年部委員長、地元の横川目4区農家組合長を務める。地域の中心的担い手だ。水稲の専業農家となると他に若手はいない。地域農家の信頼も得ている。
労働力としては、本人と叔父(父の弟)、3歳上のフリーランスのスタッフ、父の友人など、多いときで5人ほどに手伝ってもらっている。常時働いているのは自分と叔父だが、最近、叔父も出られないことが多くなってきている。実質1人で40ヘクタールを賄っているという、非常に厳しい状況だ。
機械装備はトラクタは72馬力1台、65馬力2台、46馬力1台、マッセイファーガソンの65馬力1台、30馬力3台、26馬力1台の計9台、コンバインは6条刈1台、4条刈3台、田植機は8条植えが2台、乾燥機は50石が3台、色彩選別機、籾すり機など、稲作用に一式揃っている。草刈機はウイングモアを数台保有している。
鈴木農機とのきっかけは1台のコンバイン。その年、台風などで天候が悪く、稲が倒伏。当時コンバインは2台しかなく1台が故障してしまった。どうしても収穫が間に合わないという状態になり、いろいろなところに問い合わせた中で、鈴木農機の石鳥谷支店にたどり着き、中古のGC451が購入できたおかげで、その年を何とか乗り切った。以降、10年来の付き合いとなり、72馬力のトラクタはじめ、乾燥機2台、コンバイン4台、色彩選別機、籾すり機など多くの機械を鈴木農機から購入している。
古澤護取締役サービス営業部長統括支店長は「籾の排出ラインの整備を提案させていただいて、それがうまくいったことで信頼していただけたのではないか」と振り返る。当時小原氏は、籾の排出に苦労していて、それをスムーズにできるよう、搬送機による排出ラインを構築した。「あれが失敗していたら今はなかったかも」と古澤氏は笑う。
小原氏は、「今、農機販売店も、技術屋さんは技術屋さん、セールスはセールスで住み分けが進んでいる。古澤さんは、どちらも経験している昔気質の方で、臨機応変にいろいろ相談に乗っていただきながら、現場での効率的な生産にアドバイスをいただいている。うちとしては、寄り添っていただいて助けていただいているからこそ、少ない労働力で40ヘクタールをこなせていると正直思う。様々な提案や情報提供をいただいて、毎年毎年、生産方式の改善が進んでいる。困ったら古澤さんに電話します」と、絶大な信頼を寄せている。古澤氏自身も水稲、繁殖牛などを営む農家であり、自身の経験なども提案営業に活かしている。取材中も、小原氏と農法や農薬の効き目など農業談議に花を咲かせていた。「こうした雑談の中からヒントをもらうんです」と小原氏は嬉しそうに話してくれた。
小原氏が就農した当時の経営面積は20ヘクタールほどだったが、それから15年で倍になった。自作地は5ヘクタール。「急激に面積が増えてきてやりきれなくなってきている部分もあるので、水持ちが悪いなど管理しづらい農地については、西部さんにお願いしようと思っている。逆に、ここはやらせてほしいなどの農地交換の話を進めている」という。地域の大規模法人とうまく連携をとりながら経営の効率化を図っているのも、小原氏の経営の特徴の1つといえる。
「畑作をやるには、それ用の機械や専従の労働力がないとできない。それよりも、水稲に集中して収量をあげていく方が現実的だというのも見えてきた」。「小さい子供が3人(6、4、0歳)いて、子育ても大切だし、無理して倒れるわけにもいかないので」と気を張る。
米の価格上昇など最近の米をめぐる情勢については「一概には喜べない。米バブルのようなものは必ず収束するし、収入は上がっても資材費などは上がり続けているので先行きは見えない」と、浮足立ってはいない。地域では離農も顕著だ。しかし、「なくならない産業だとは思うので、大規模と小規模の住み分けが進んでいく。小さな農家はどんどんなくなっていくだろうし、今は、生き残りをかけた大きな転換期だ」と、今後の経営に思いを巡らす。
スマート農業に関しては「乗り手が自分だけなら良いが、高齢の方が使う場合、逆にスマート農業って何?と混乱してしまうと思うので、状況を見ながら判断していきたい。情報は常に仕入れながら、自分に合ったものを選択していきたい」と、慎重な構えをみせる。
地域の若き担い手として期待されているものの、経営面積は、「今がギリギリか、過剰気味」だと思っており、今はこれ以上請け負えない。しかし、何年か後には頼むと言われている農地もあり、そうした地域の要望に応えられるように、作業体系をどうするかを模索している。
今後の展望について聞くと「楽しくやりたい。自分が辛そうに農業をしている姿を子供たちに見せたくない」と話す。「先輩方が、定年退職したら、自分のところを手伝ってくれるとも言ってくれている。1人で頑張るつもりではなく、地域を巻き込んで楽しくやりたいし、この生まれ育ってきた景観を守っていきたい」と、地元への愛と責任感をにじませた。
取材が終わろうとする頃、長女の沙織ちゃん(6歳)と長男の遙太くん(4歳)が帰宅した。沙織ちゃんは将来、「先生になりたい」。遙太くんは「トラクタに乗りたい」と元気に答えた。故郷の変わらない風景を、親から子に引き継いでいきたいと誰しもが願う。









